2012年4月10日

2009年 ラジオのインタヴュー3 スイスで学ぶ理由(わけ)


3.    なぜ、あなたはスイスで勉強しようと思うにいたったのですか。


聖書原典の泉から豊かな水をくみ出し、イスラエルと教会の歴史に学びつつ、教会をみずみずしく保ってきた生きた伝統が、ここにはあると考えたからです。第一に、私は改革教会の牧師となりたいと考えています。私たち自身の教会のルーツを求めようとすると、アメリカからオランダやスコットランドを経て、スイスに遡ることになります。私の所属する日本キリスト教会では、牧師・長老はもちろん、学ぶことのできるものはみな、ジュネーヴの宗教改革者カルヴァンの著作をよく読んできました。チューリヒの改革者ツヴィングリやブリンガーの影響もまたあります。特に敗戦後は、教会と国家の正しい関係についての関心をもって、カルヴァンと同様に、カール・バルトやドイツの告白教会から学んできました。有名ないわゆる像と鯨の対論、すなわち、バーゼル出身のバルトとチューリヒ出身のエミール・ブルンナーの論争などは、私たちの教会の注目するところでもありました。そのブルンナーが、日本の国際基督教大学で数年教鞭を取られ、たくさんの牧師・神学者もとい教会を育てた方であることは、みなさんもご存知かもしれません。スイスの改革教会と教育機関は、私たちにとって、いつも注目の的であり、神学の教師だったのです。

そのブルンナー教授も働かれたチューリヒ大学には、組織神学ばかりでなく、聖書学においても、日本の改革派教会に大きな影響を与えてきた人々が、これまで身を置いてきました。旧約聖書の分野で例をあげると、ヴァルター・ツィンマリや、クラウス・ヴェスターマンなど。彼らの著作は、日本語でも読むことができます。ルートヴィヒ・ケーラーのヘブライ語辞書は、私たちの神学校でも必携でした。チューリヒ大学は、歴史と神学の関係を、自由と保守の緊張をごまかすことなく見つめながら、問い続けてきた伝統があるのではないかと思います。そして、わたしをチューリヒに迎えてくださった旧約学教授たちをはじめ、その伝統は今も生きていると思います。その緊張の伝統に身を置いて聖書を読むことは、緊張の多い日本の文脈で仕事をする際にも、きっと役に立つと思いました。


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